長い歴史の中で利用されてきたハーブ
そんなハーブには、いろいろな逸話が残されています。
今回はそんな逸話を「世界編」「日本編」に分けて
それぞれ紹介したいと思います。
~世界編~
古代から利用されてたハーブ
すでに新石器時代には、草や木や実などを薬や繊維として使っていたといいます。4000年前のバビロニアでは、粘土板にハーブのリストが刻まれています。病気は悪魔のしわざと信じられて古代には、ハーブは神から与えられた魔法の薬草とされていたのです。古代エジプトでは、ハーブは薬用・食用・染色・彩色用のほか、香りを神に捧げる宗教儀礼にも使われていたそうです。ミイラ作りの防腐剤としても欠かせない材料の1つでした。
歴史に残る美女クレオパトラも、実はハーブ愛好家のひとり。高価な香料や香油を身に付け、ローズやジャスミンのお風呂で肌を磨き、ハーブで作られた化粧品を使い、衣装もハーブで染め抜いたものだったとか。 シーザーやアントニウスとの恋も、ハーブ無しには成就しなかったかも知れません。
香りが貴族のたしなみに
古代ギリシャ・ローマの時代には庶民がお風呂で親しんでいたハーブも、中世に入るとだんだんと王侯貴族の嗜好品へ変っていきます。ローマ帝国が領土拡大とともに、またその後の十字軍の東方遠征によって、珍しいハーブが続々とヨーロッパに伝わり、貴族の城館には見事なハーブ庭園が広がる事が多くなりました。香りの文化発祥地フランスで、香水の製造する技術も発達し、16世紀ハーブの黄金期を迎えます。ルイ十四世は、ハーブと香水で洗ったシャツを着て、「もっとも甘い香りの王様」と呼ばれていました。
メンフラワー号に乗ったハーブ
さまざまの利用法が開発され、加工や保存の方法や園芸技術も広まり、ハーブの本の出版も相次ぐなか、イギリスは清教徒革命が発生。その後ハーブはメンフラワー号に乗って、新大陸アメリカへ。17世紀から19世紀まで、医学の発達でハーブは暗黒の時代におとしいれましたが、ハーブの文化復活の地は、そのアメリカ西海岸でした。
1960年代の「自然に帰ろう」と言う運動に呼応するように、現代人はハーブのもつ薬効や香りの素晴らしさを再確認したのでした。
~日本編~
イナバの白ウサギの伝説にも
西洋ハーブを生活に取り入れたのは最近の事ですが、日本には日本ならではの和製ハーブがあり、古くから暮らしに役立ってきました。たとえば、冬至の柚子湯・子供の日のショウブ湯など、天然の植物の薬効を利用してきたのです。「古事記」にもハジカミやニンニクなどの名前が登場し。神話として有名なイナバの白ウサギの話しでは、皮をむかれた傷跡をガマという植物の力で治したとされています。・・・ガマもハーブの一種です。
病気治療に欠かせないものに
紀元前からの薬草の効果を認めていた中国医学の伝来にも影響されて、日本でもハーブ類は、病気治療として利用されるようになりました。
8世紀以降は、薬草を利用した施薬院(病院)といった施設も登場。10世紀になると、和製ハーブだけでなく、コリアンダー・フェンネルなどの地中海から到来した西洋ハーブも国内で栽培され活用されていたといわれています。
信長が造ったハーブ園
日本で始めてハーブ・ガーデンを造った功労者は、織田信長と伝えられています。信長に命じられて、薬草の手配や栽培を手がけたのは、ヨーロッパの宣教師だったとか。当然、日本古来の薬草にかぎらず、西洋原産の各種ハーブも栽培されていた事でしょう。舶来趣味でハーブ導入に貢献した信長の時代が終わると、鎖国に徹した江戸時代。それでも、オランダや中国を通じ、外国文化の到来は絶えませんでした。新しいハーブの種子や薬草学も途絶える事無く伝えられたのです。
生活に溶け込むのは戦後
明治時代に入ると、西洋の野草や薬草が次々に取り入れられるものの、一般家庭の食卓にのぼるほどの普及は見られませんでした。漢方薬としての和製ハーブは別にして、庶民には西洋ハーブの香りの文化など、まだまだ無縁だったのです。太平洋戦争後、世の中がようやく豊になると、日本に改めて紹介されたハーブ文化は、ナチュラル&ヘルシーの時代にぴったりと調和し、暮らしの中に根づいていったのです。
参考資料:桐原春子「ヘルシーハーブ」
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